HOME第26回 平等と個人の尊重--14条~13条(水島朝穂-憲法から時代をよむ)

第26回 平等と個人の尊重--14条~13条(水島朝穂-憲法から時代をよむ)

 「個人の尊重」は、個人の平等を前提としている。人はその人格的価値において等しいという考え方は、18世紀の諸宣言で鮮明に打ち出された。「すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかには生命、自由及び幸福の追求が含まれる」(米独立宣言、1776年)。権利を保障するにも義務を課すにも、平等な取り扱いが求められる。平等原則は憲法の大原則の一つといえる。

  平等原則を定める14条は、憲法関係の判例のなかで最も「ヒット数」の多い条文といえる。何らかの訴えや主張をしていくとき、平等原則違反という切り口は持ち出しやすい。だが、何が「平等」か、何をもって平等の達成とするかは容易ではない。14条の内容はきわめて多岐にわたり、かつ奥行きが深い。14条は三つの項からなる。
  1項  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地
により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 2項  華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
  3項  栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現      にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

  1項で保障されるのは「法の下の平等」である。これは、法が平等に適用されればよしとするものではなく、法の内容についても平等が要求される(立法者拘束説)。また、すべての人間を完全に同一に処遇せよという絶対的平等ではなく、人はそれぞれ異なる状況にあることを踏まえて、等しいものを等しく、等しくないものは等しくなく扱うという相対的平等説に立つ。判例・通説は、「合理性」をもった異なる取り扱い(「合理的差別〔区別〕」)は平等原則に反しないとし、「合理性」を欠いた不合理な差別が認められないとする。本人が選択できない先天的な理由、例えば人種、性別、門地などによる差別は許されない。宗教的確信や信条などによる差別も同様である。1項には、差別禁止事由が5個挙げられているが、これは例示的列挙と理解されている。それ以外にも差別事由がある。選挙人の資格を定めた44条には、14条1項列挙の5個に加えて、教育、財産、収入という3個の事由が加わっている。選挙人資格に直接国税○円以上納付という条件があった、1925年(普選)以前の日本の制度への反省のうえに立ったものである。
 なお、2項と3項は、大日本帝国憲法下の旧華族制度や特権を伴う勲章などを否定したもので、これらを「門地」による差別の典型的形態として、明文規定を置いて廃止した。
 ところで、先の「合理的差別〔区別〕」の議論には、さまざまな問題がある。例えば、男女雇用機会均等法の制定から20年以上になるが、雇用の現場においては、男女平等が実質的に実現しているとはいえない。何をもって「合理的」とするかが曖昧であり、結局「社会通念」に逃げ込まれて、実質的な不平等が「合理」化されてしまうおそれもある。
 学説は、差別事由や具体的な権利内容に即して、裁判所の違憲審査基準の体系化をはかってきた。米国における差別立法の違憲審査基準にヒントを得て、例えば、14条1項後段の5 つの列挙事由については(1)「厳格な審査基準」を適用し、その他の事項については(2)「合理性の基準」を適用するという工夫がある。「性別」については、(3)中間的な「厳格な合理性の基準」を絡ませていく。

 (1)の「厳格な審査基準」は立法目的が「やむにやまれぬ」ほどに重要であるかどうか、その実現達成手段が必要不可欠なものといえるかどうかがポイントとなる。 (2)「合理性の基準」は、立法目的が合理的といえるか、またその実現達成手段が立法目的との間で合理的関連性を有しているかが審査される。この場合、手段が著しく不合理であるといえない限り、違憲とはしないゆるやかな審査方法といえる。(3)の「厳格な合理性の基準」は、立法目的が重要なものであり、それを実現するための手段が目的との間で実質的な関連性をもっているかどうかが審査される。具体的なケースを診てみると、こうした学説上の基準論が、具体的救済に連動しているとは必ずしもいえない。

 平等原則が争われた判例は多い。そのなかでも、最高裁が正面から14条違反の判決を出し、その後当該条文が削除されるという強い影響を与えたのが、尊属殺重罰規定違憲判決(最大判1973.4.4)である。旧刑法200条は、直系尊属を殺害した者は死刑と無期の法定刑しか選択できず、最高裁はこれを違憲無効とした。判決は違憲14対合憲1だったが、そもそも尊属殺の立法目的そのものが平等原則違反とした裁判官は6 人だけで、多数意見は旧家族制度的発想から抜けきれず、立法目的そのものは合理的だが、立法目的達成手段(実刑しか出せない)が不合理であるとしてこれを違憲とした。立法目的についていえば、9対6の「潜在的合憲判決」という側面をもっていた。なお、日本の違憲審査制は付随的違憲審査制であり、違憲判決の効力は個別事件にしか及ばないが、しかし個別的効力の一般的効果は絶大である。立法目的を正面から14条違反としなかった判決ではあるが、これによって刑法200条は死に体となり、1995年の刑法改正で削除された。

 なお、国民の間の実質的な平等を実現するための施策を行うことや、私人間でそうした施策を行うように国が求めることを、積極的差別是正(改善)措置(アファーマティヴ・アクション〔ポジティヴ・アクション〕)という。米国では黒人差別の是正のなかで生まれたものだが、日本ではゆるやかな発展過程をたどっている。家族の問題については、24条のところで述べたので参照されたい

  さて、紙幅がなくなってきたところで13条である。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。このシンプルな条文は、宝石のように多彩でかつ深い内容をもっている。人権条項の総則的な役割を果たすとともに、民主的統治システムの目的ともなっている。
  まず、「個人の尊重」は、日本国憲法が個人主義の原理を表明したものと理解されている。個人主義は、他人を押し退けて自分の利益のみ追求する自己チュー(利己主義)と、「全体」(特定の「集団」)のために「個人」に犠牲を求める全体主義を否定して、社会における根本価値を個人に置き、これを尊重する原理である。
 また、「個人の尊重」は、民主制が多数決という形をとるため、すべての人が個人として等しく尊重されることを前提として、各個人が熟議と熟慮のうえで決断することを想定している。

 さらに、13条後段は、前段を受けて、個人の生命権、自由権、幸福追求権の尊重をうたい、かつ包括的な権利として、「新しい人権」の根拠規定として頻用されている。この幸福追求権の守備範囲や性格をめぐっては、個人の人格的生存に必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的な権利と理解する「人格的利益説」(「人格的自律権説」)と、あらゆる生活活動領域について成立する「一般的〔行為〕自由説」とに分かれる。

 13条後段は、プライバシー権の根拠としても引照されてきた。プライバシー権は、歴史的出自としては、「一人にしておいてもらう権利」として出発し、近年、単に個人として秘密にしておきたいという主観的感情の保護にとどまらず、個人の「自律領域」の保護をも含有するものとして積極的に構成され、「自己に関する情報をコントロールする権利」として捉える見解が有力になっている。「個人が自己の私的情報をみだりに収集・利用・伝達されない権利」ともいわれる。最高裁は、「プライバシー」という表現こそ使わないものの、例えば、前科や犯罪経歴につき、「みだりに公開されないという法律上の保護に値する利益」と認めている(最判1981.4.14)。 
 ただ、どこまでが「自己」情報といえるか、あるいは「コントロール権」といっても、何をどこまで「コントロール」できるのかなど、詰められるべき課題は多い。少なくとも、個人情報が収集、保管、利用されるだけでなく、「名寄せ」機能を経由して情報が統合・加工されるような場面にも留意する必要があるだろう。IT(情報技術)社会の展開のなかで、思わぬ副作用も含めて、個人のプライバシー保護には慎重の上にも慎重を期すべき所以である。行政の効率制やコストダウンもそれ自体としては正当な目的であるが、そのためにプライバシー権保護の実が低下するような愚は避けなければならない。その観点からすれば、「住基ネット」は、根本的な再検討を経た上で出直すべきだろう。
                                                                                                           (2008年4月22日稿)
憲法から時代をよむ へ戻る