HOME第27回 国民と権利・自由--12条~10条(水島朝穂-憲法から時代をよむ)

第27回 国民と権利・自由--12条~10条(水島朝穂-憲法から時代をよむ)

 11条については、この連載の第5回で97条と一緒に書いた、今回は人権の「総則」的な場面なので、若干のダブリを承知で語っておきたい。
  まず12条から。11条で基本的人権の保障とその永久不可侵性を定めたのに、直近の12条は、「自由・権利の保持責任」とその濫用禁止、公共の福祉による制約可能性をうたう。これをどう考えたらよいか。

 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」

 この12条は、11条(97条)で普遍的な人権が日本国民に託されたこととの関連で、今度は国民の側からのアングルでその責務を明確にしたものといえる。12条前段は、自由と権利を空気のように感じるのではなく、「失う可能性のある貴重なもの」として位置づけ、これを保持し、次世代に引き継げるように万全の態勢と姿勢で臨むべしという「心構え」を定めたものである。自由・権利の保持責任という法的義務を国民に課したものではない。したがって、保持の努力を怠ったからといって、制裁には直結しない。ただ、権利の上に眠り続けて、いつの間にか権利や自由を失うという悲惨を甘受するだけである。それゆえ、権利・自由の意味を常に自覚し、その発展のための「不断の努力」と日常的な(普段の)努力を怠ってはならないのである。

 濫用の禁止については、ことさらに自由や権利を低めるように理解してはならない。フランス人権宣言4条にいわれるように、「自由は、他人を害しないすべてをなし得ることに存する」以上、当然の制約といえる。さらに、「公共の福祉」による制約もまた、人権と人権の衝突ないし矛盾を調整する実質的公平の原理と理解すればよい。自明の前提として「公共の福祉」がせり出してきて、人々の自由や権利に抑制的に作動させるのは、憲法がその文言を置いた趣旨ではない。

 次に11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」と規定する。97条よりはシンプルになっているのは、すでに述べたような事情による
 そもそも「人権」の最も初歩的な定義は、「人が生まれながらにしてもっている権利」「人ということだけを理由にして認められる権利」ということになる。このような意味での人権が最初に明確化されたドキュメントは、米国の「ヴァージニア権利章典」(1776年)である。人権の歴史は、人類史というスパンで見れば、まだ230 年程度しか経っていないともいえる。人権は国家権力に対する明確なベクトル(方向性)をもって、対国家の性格をもって生まれたことに留意すべきだろう。人権は、「みんな」が民主的手続を踏んで決めたことでも、「一人」がもっている「大切なもの」を侵害してはならないことを「あらかじめ」表示しておくものである。人間の「大切なもの」を「プロパティ」という概念で表現した思想家もいた。パソコンの世界では、プロパティを開くと、当該ファイルの核心的内容がわかるように、人間にとって「プロパティ」は生命・自由・財産であり、その後の人権宣言によってさらに豊かにされている。

 ヴァージニア権利章典は「すべて人は生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有する」として、その権利として、生命、自由、幸福追及、財産の取得所有の権利を挙げていた。だが、ここでいう「すべて人」とは、あまねくすべての人を意味せず、ヴァージニア州で市民権を獲得した市民をさす。時はアメリカ独立戦争の最終段階である。独立を正統化するためには、華麗なフィクションを総動員する必要があったのである。だから、後にクウェーカーの奴隷解放請願にもかかわらず、ニグロ・アフリカンの奴隷たちは、そこにいう「人」にはカウントされなかった。その意味では、アメリカは「『平等』なき立憲国家」といわれる(M・クリーレ『国家学入門』御茶の水書房)。
 他方、フランス人権宣言1条の「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」も同様である。そこにおける「人」は三重のフィクションにくるまれていた。すわなち、「人」(homme)とは、「成人」の「男性」のことであり、当然、フランス植民地の人々は含まれていなかった。ということは、1789年段階で「人の権利」と宣言されたものは、「フランス本国の成人男性の権利」と同義だった(辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』創文社参照)。付け加えれば、そこでは、人権の理念はうたわれていたが、拘束力がなかった。その意味で、フランスは「立憲国家なき『人権』」といわれる(クリーレ前掲書)。権利保障と統治機構の関係が重要性を帯びてくる所以である。

 端的にいえば、18世紀の人権宣言は、独立戦争や革命の興奮と熱狂の醒めやらぬなかで、すべての人間の自然的権利を情熱的にうたいあげたものである。そこに生きる具体的な人間の属性やもろもろの関係(生産現場における関係も)はすべて捨象され、人間の本性だけが押し出された。この強引ともいえる抽象化によって、人権は、強烈な歴史的インスピレーションを与えることになった。もしも、これらの人権宣言が、あそこまで熱く、高らかに「あまねく人の権利」を宣言せずに、チマチマと個々の国民の権利をいう狭いものにとどまっていたならば、世界史に残るような文書とはなりえなかっただろう。

 19世紀に入ると、人権宣言の道徳的な響きと情熱は急速に醒めていき、人権は憲法典のなかに粛々と取り入れられていく。フランスの場合、1791年憲法、93年憲法、95年憲法という、それぞれ性格の異なる憲法のなかに取り入れられ、憲法上の権利として共通の地歩を固めるに至った。1795年憲法は、権力分立を基本に据えるに至った。「立憲国家なき人権」からの離陸の開始である。この流れを、「人権から基本権へ」という括り方をする論者もいる。さらに、20世紀にかけて、社会権的権利の要求が高まっていき、1919年ヴァイマール憲法のなかに、豊富な社会権条項が登場するに至った。

 先にフランス人権宣言には三つのフィクションがあったと書いたが、生産過程における具体的な諸関係(資本家と労働者など)を捨象したという意味では、四つのフィクションともいえる。いずれにせよ、20世紀の植民地解放運動や女性参政権獲得の運動などの結果、二つのフィクションは克服の道を進んでいる。社会保障や労働権獲得をめぐる運動の結果、社会権条項をもつ憲法も増えてくる。そして、フランス人権宣言200周年の年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」により、成人だけでなく子どもが人権の主体として登場した。もちろん、子どもの権利に関して各国の対応は異なり、問題は単純ではない。しかし、人権のフィクション性を克服していく営みは、長い時間と、人々の人権を求める具体的な運動を通じて、着実に前進している。その意味で、人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(日本国憲法97条)なのである。

 21世紀になり、「人権の国際化」が進んでいる。しかし、現実の生活に目をやれば、貧富の差は、世界規模で、また各国内部においても一段と激しくなっている。西欧的な人権の普遍性の「胡散臭さ」を批判し、イラスム的価値やアジア的価値の特殊性を押し出す動きも決して小さなものではない。「9.11」はそうした動きの最も歪んだ現象形態といえるかもしれない。今後、人権をどのように実現していくか。課題は無数にある。これ以上詳しく言及できないが、「やってはいけないこと」が一つだけある。それは、「人権」「自由」「民主主義」の普遍的価値を大上段にふりかぶって、武力で押しつけることである。それをやってしまったイラク戦争がこれからの世界にもたらす負の影響は計り知れない。
 人権が、もっぱら自然人たる個人の権利を意味するとしても、「誰の」(whose)人権か、という論点がある。憲法の教科書では「人権の享有主体」として、天皇、法人、外国人という三点セットで論じられることが多い。近年、「胎児の人権」「死者の人権」「子どもの人権」「障害者の人権」なども、「人権の主体」の問題として論じられることがある(例えば、戸波江二『憲法(新版)』ぎょうせい)。ただ、先の三つがポイントとなる点では変わりはない。このうち、「天皇の人権」は、情熱を傾けて論ずる実益はかなり少なくなった。「女帝」をめぐるジェンダー的アングルからの議論もあるが、これは「天皇の人権」の問題とは別筋で議論すべきだろう。となると、「法人の人権」と「外国人の人権」がメインとなる。人権の普遍的性格に鑑みれば、「邦人の人権」という物言いは適切ではないだろう。少なくとも日本国内では意味がない。他方、「外国人の人権」は理論的にも、実践的にもますます重要になっている。そこで、「法人の人権」はどうか。
 
 通説・判例は、法人が現代社会において果たす重要な役割や、法人の活動が自然人を媒介にして行われ、その効果が構成員である自然人に帰することなどから、「法人も人権の享有主体たりうる」という結論を、意外とあっさりと引き出す。その際、ドイツ基本法19条3項(「基本権は、その本質上(ihrem Wesen nach)内国法人に適用しうる限りにおいて、これにも(auch)適用される」)を引照して、「だから日本も」となる。「性質適用説」と呼ばれるものだが、実はどのような人権が「性質上」法人にも妥当するのかについて、明確な振り分け基準があるわけでもない。一口に法人といっても、営利法人と公益法人、任意団体と強制加入団体とでは、扱いにも違いが出てくる。「法人の人権」が、その構成員の人権と衝突する場合もありうる。むしろ、その点こそ重要だろう。有名な八幡製鉄政治献金事件最高裁判決(1970.6.24)は、性質適用説を採用して、営利法人たる巨大企業の政治的表現の自由をおおらかに肯定した。特定政党への政治献金に反対する構成員は、自己の思想・信条の自由を侵されたといっても、企業にはやめる自由があるのだから、「いやなら出ていけばいい」ということにもなりかねない。社会的権力ともいえるほどになった法人・団体と、社会のさまざまな領域で活躍する法人・団体(NPO等も)とを同一に論じていいか。法人にもさまざまな「かたち」があり、その際、それらの性質の違いも無視できない。あくまでも人権の主体は個人(自然人)であるという視点をキープしながら、個人の集合体である法人・団体が、国家による不当な介入・扱いを受けたときに、裁判所に救済を求める「憲法上の権利」を有すると考えるのが妥当だろう。

 最後に、10条はきわめてシンプルである。「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」。何の変哲もない条文だが、よくよく考えると深い。国家は、対人高権によって画される国籍保持者からなる政治的共同体とされる以上、自国民と他国民との区別は重要である。
 国籍とは何か。「個人が国家の構成員である資格」とさしあたり定義し得るが、しかし、国民とは何かという根本問題が背後にあり、しかも理念としての国民と国籍の保持者としての国民との間に齟齬が生まれることも無視しえない(柳井健一『イギリス近代国籍法史研究』日本評論社参照)。                                                 
(2008年5月6日稿)

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